死の記憶

死の記憶

幼い頃の記憶を辿ってゆくと、まだ、死というものの概念がない頃に体験したお葬式の思い出にいきあたる。

田舎のお葬式だったから、大人たちが大勢忙しそうに右往左往していて、

祭壇には沢山のお花とカラフルな灯籠が灯っていて、ロウソクの火と線香の煙りがあって。

庭では集まった人たちに提供する精進料理を女性たちが大きな竈門で料理してて、

みんな、なんだか忙しそうで。

 

わたしは、まだ、とても幼くて死というものがどうゆうものなのか解ってなくて、

大人や子供が沢山集まってきて、ザワザワしてる、その場所が、お祭りみたいだなって

少しワクワクした気持ちを持ってたのを、薄っすらと覚えてる。

 

人はいつから、死ぬことが悲しいことだって思うようになるんだろう。

生きることが正しくて、死ぬことが誤ったことだとも。

生きることと、死ぬことが二つで一つの自然の流れならば、

生まれてくる時も去るときも、喜びと共にあれればいいのに。

 

九州の田舎で育ったから、誰かがなくなると、みんなで通夜をして葬式をして、

火葬場へ行って遺体を焼いて、骨だけになった人の最後をよくみる機会があった。

健康だった人、怪我や手術をしたことがある人、老いた人、若い人、

それぞれの生きてきた様が、肉や皮膚が消え去っても骨に残ってた。

綺麗に骨が残っていても長い箸で崩して、狭い小さな骨壷に納める。

子供心に入りきらなかった骨は、そうなるんだろうって、いつも不思議でしょうがなかった。